怒りや焦りをエネルギーにして生きていた私が、身体と向き合う中で「静かな力」に気づいた話

この記事は、身体の変化を「整え方」ではなく、
生き方として受け取った、ひとつの体験記です。

仕事をしている頃までの私は、いつも少し“戦闘態勢”でした。
それを表す意味でも、ピンヒールを履いていました。

男性が多い職場。
しかも仕事に慣れすぎた多くの人たちの中で働く毎日。

予定通りに進まないこと、理不尽なこと、うまく伝わらないこと。
そのたびに胸の奥が熱くなって、気づけば怒りが私を動かしていました。

「怒りが私のパワーなのだ」
そう信じていたし、実際それで頑張れていたのだと思います。

でもあるとき、ふと気づいたのです。
私の身体はずっと、そんな生き方を支えながら、静かに疲れていたのだと。
怒りで走る毎日は、確かに私を動かしていました。
でも身体は、ずっと別の声を出していたのだと思います。

これは、腸や呼吸やリハビリを通して、
“頑張る自分”とは別の力に出会っていった私の記録です。


目次

一生懸命になることが好きだった

子供のころから、何かにはまる子だったと思います。

小学校低学年の時には、放課後はほぼ鉄棒にぶら下がっていました。
カーディガンを鉄棒に巻いて足をかけ、くるくる100回以上回っていたこともあります。
母が「なんでこんなにカーディガンがボロボロになるの?」と怒っていました。

小学校高学年からは、バレーボールにはまりました。

10代後半から結婚するまでは特にはまったことはなかったのですが、
子供が生まれてからは、それこそ子育てにはまっていました。

そして、子育てもある程度落ち着いて、仕事をすることになってからは、
またその仕事にはまることになります。

(今思えば、私の根っこにはいつも「一気にやり切る癖」があったのだと思います。)


怒りで走って、成果を出して、でも限界も近づいていた

前述したとおり、理不尽や不真面目に怒りながら、仕事に全力投球しました。

おかげで色々な成果を出すことができました。
でも一方で、家庭では配偶者への怒りが我慢できなくなっていきました。

当時乳がんになったこともきっかけになり、
「我慢することは良くない」と、人生を変えることを選択したのでした。

それまでは、欲しいものは自分で取りに行けば手に入ると信じていました。
頑張ればよいだけなのですから。
自分の人生は自分で切り開いていけると信じていました。

そして、他人に何かを任せることは極力避けていたのです。

けれど乳がんを通して、仕事を誰かに任せることが必要になりました。
病気と仕事を両立するには、それを受け入れる練習でもありました。


「じっとしていられない」は、私の普通だった

そんな中でも、カレンダーは予定で埋まり、せわしく動いていたのでしょう。
母が「どうしてもう少しじっとしていられないの?」と嘆くほどでした。

昔からじっとしていられない性分だからしょうがない。
自分ではそれが普通の出来事でした。

(そしてその癖が、いつの間にか「怒り」や「焦り」と結びついていたのだと思います。)

腸が最初の“メッセージ”をくれていた

あるとき、背中が痛くて苦しくなったので病院に行きました。
大したことはなかったのですが、ガスがたまっていたようでした。

食べ物や生活習慣を改めるよう、医者に言われました。
少し極端なことを言う先生だったので、
「そこまで言うならやってみましょう」と、ちょっと極端な食生活もやってみました。

この時、腸がメッセージを出してくれていた。
今になれば、そう思うことができます。


追いかけるものが変わっても、癖だけは変わらなかった

60歳過ぎ、母を自宅で看取りました。
そして一人暮らしを満喫するように、石鹸づくりや油、アロマや菌活。
自分が不思議に思ったものは手あたり次第追求しました。

ピラティスもインストラクターまで取得しました。

目の前にやるべきものがあると、休みながら取り組むことができない。
一気にやってしまおうとする癖が、ここでも全開でした。


そして身体は止まり、私は「時間に任せる」ことを学ぶことになった

そんな日々が身体を疲れさせていたのでしょう。
ギラン・バレー症候群という、動けなくなる病気になってしまったのです。

乳がんになった時は、人に頼ることを学びました。
今回は何を学べと言っているのだろうと、一生懸命考えました。

この病気は、動きすぎても筋肉にダメージを与えるようで、
様子を見ながらリハビリを進めていかなくてはなりませんでした。

時間を追いかけていた生活から、時間に任せる生活へ。
転換しなければならないことを学ぶときなのだと思うに至りました。

そして、急がず慌てず歩かなければ転んでしまうリスクを抱えて退院しました。


静かに暮らしてみたら、私の中に“別の力”が残っていた

退院後は、あまり動じずに穏やかな生活を心がけました。
時間のリズム、リハビリ運動、たんぱく質の多い食事。

気を付けながらの生活を続けているうちに、
ある変化に気づきました。

怒りをベースに時間を追いかけて過ごした生活から、
怒りを手放して、ゆったりと時間に任せる生活へ。

それが、実に穏やかであることに気づいたのです。

怒っていては、身体は固くなって動きません。

今は、身体がどう動こうとしているかを任せることも、
大切なリハビリだと感じることができています。

▶怒りは身体の癖を作ります。防御ルートという考え方で身体の癖について書いています。


この経験で、私が受け取った“3つの学び”

・怒りは私を動かしてくれたけれど、身体は固くなっていった
 エネルギーにはなる。でも、回復には向きにくい。そう感じています。
・「休む力」は意志ではなく、リズムと呼吸で戻ってくる
 止まれない性格を責めるより、整う条件を作る方が早かったのかもしれません。
・任せることは弱さではなく、回復の技術だった
 頑張り続ける以外にも、生き方はある。身体はそう教えてくれました。

感情は時に大きな原動力となります。
けれどその力だけに頼って生きると、身体がうまく動かなくなる。
私はそれを、身をもって知りました。

後悔していることは何一つありません。
ただ、もう少し穏やかな暮らし方ができることを、
誰かに伝える事は、私ができる事なのかしらと思っています。

▶「休めない」のは性格ではなく、身体の切り替えの問題かもしれません。
休息のスイッチについては、こちらでまとめています。

▶怒りや焦りで身体が固いと感じるときは、呼吸からほどけることがあります。
1分でできる整え方はこちらへ。


この記事は、内臓ネットワークの中の「ひとつのパート」です。
全体のつながりや流れを知りたい方は、完全ガイドをご覧ください。

プロフィール

自画像イラスト

櫻井 凛
ピラティスインストラクター

寝たきりから再起。呼吸と身体を再構築する伴走者として

65歳でギラン・バレー症候群を発症し、一時は寝たきりに。しかし、長年培ったピラティスと神経系の知見を自らに注ぎ込み、再び装具をつけて少し歩けるまで回復しました。

現在は「3年後に独歩」を目標に自ら身体を再構築しながら、40代からのしなやかな心身を作るために、呼吸を通して身体と会話しながら整える方法を発信しています。

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